ゆるっと。

マイペースなヲタクの独り言

20190429『銀幕の果てに』観劇メモ

正直、観るかどうかすごく悩んだ舞台だった。おそらくこの演出家の舞台は自分の好みには全く合致しないというのが、前作ではっきり分かってた。でもそこを差し引いても観たいと思わせる理由が3つあった。

一つ目はもちろん大好きな矢島さんの主演舞台であること。当然だ。そりゃ推しの活躍は見届けたい。

二つ目は、木崎ゆりあちゃんが出ること。ゆりあちゃんはSKEでの推しメンだった。48G自体全く追えなくなっていたのと、地元愛がとても強かったゆりあちゃんがAKBへ移籍させられたショックで(この話は長くなるので置いておく)この数年はほとんどチェックできてなかった。けれど、演技も当時から上手だったので、彼女が女優の道に進んでくれてすごく嬉しく思っていた。だから、ゆりあちゃんが矢島さんと共演する舞台なら観てみたいと思った。

そして三つ目は、MATSU(松本利夫)さんが出ること。アイドルオタクになる前はEXILEが好きだったので、MATSUさんは完全にレジェンドだった。MATSUさんも出るなら、観るしかないと思った。

そんなこんなで観に行った結果として、自分史上最も理解できない舞台に出会ってしまった。なんかもうせっかくなので記念にブログなど書いてみる。久しぶりすぎてもうブログの書き方なんて忘れてしまったので、駄文長文になること間違いなしです。

と忠告文は書いておいたので、何かの不運でこの記事に辿り着いてしまった人も、この先読み進めるかどうかは自己責任で判断してくれると信じてる。あと一応書いておくけど、木崎ゆりあちゃんの「崎」は正確には右上が「立」です。

 

www.rup.co.jp

 

ざっくりとした感想

冒頭に書いた通り、感想を一言で言うと「理解できない」。演出家の岡村俊一氏は、パンフレットに「これは実験だ」的なことを書いていたけど、だとすると今回は"失敗した実験”をそのまま見せられているのかな、みたいな気持ち。少なくとも、自分の知り合いで内容が理解できたと言っていた人はいなかったし、自分自身も「え?これで作品として成立してるの?」というのが率直な第一印象だった。

パンフレットを読むと、演出家も出演者も口を揃えて「初めて原作を読んだときは意味が分からなかった」と言っているので、原作自体が非常に難しい話らしい。私は読んでいないので何とも言えないけど。とはいえ、そもそも「観客が1回の観劇で内容をある程度理解できる」くらいが舞台作品として最低限あるべき姿だと自分は思ってる(こんなこと今まで考えたこともなかったので今回初めて気付かされたけど)。観客にメッセージが伝わらなければわざわざ舞台化する意味がないし、書籍やDVDと違って観劇は1回1回お金がかかるわけだから、複数回観てもらうのを前提とするのもおかしいと思う。メインストーリー以外にいろんな伏線や小ネタがあって、複数回観ても楽しめるよ、というものなら大歓迎だけど。極端な話、もし、原作がある舞台で、分からないなら原作を読んで理解しろ、というスタンスなら、チケットに原作を付けてほしい、くらいの気持ち。こちらは完結した作品としての舞台を観に行っているのであって、原作を購入して読むためのきっかけにしたいわけではないので。

 
でもちょっとだけ頑張って分解してみる

さっき書いたとおり原作は未読だし、舞台自体も1回しか観ていないのでいろいろ間違ってるかもしれない。けど、舞台作品としての感想を残しておきたいという気持ちもある。というわけで、なぜこんなに意味が分からないのか、自分なりに分解して考えてみた。自分の理解力不足を晒すことになりそうだけど、ま、こんなバカな観客もいるんだからもうちょい優しくしてよね、くらいのテンションでつらつらと書いてみる。

 

・時代錯誤感がすごい

大部屋女優が如何に人権を踏みにじられていたか。大女優がどのように振る舞い、そして周囲からどんなに憧れや畏れや憎しみの対象として見られていたか。そんな大女優が、銀幕の裏側でどんな屈辱を受け、どんな苦悩の末に大女優であり続けていたか。大女優が銀幕のスターである所以とは何か。まとめるとこんな感じのことが描かれていたと思うけど、今この時代にこれらを観客に見せることに何か意味があったのだろうか。あるいは、流石に安直すぎると思うけど、原子力発電所が孕む問題(周辺地域は補助金等で潤う反面で危険に晒され続けるとか、放射性廃棄物の処理とか)についての警告がメッセージだったのだろうか。だとしたらあまりにも今更すぎる。

これまで舞台化されていなかったこの作品を、”今このタイミングで” ”舞台化”したことの意味がこの作品の大きなテーマになるのではないかと思っていた。けれど、原作当時の価値観をそのまま舞台に持ってきてしまったと思われることと、いくつかの物あるいは人物が何らかの暗喩表現だったんだろうと思うけどそれが全然伝わらないせいで、時代錯誤感だけが強調されているように感じた。

 

・時代/場面の転換が分かりづらい

この舞台は、映画撮影のシーンがメインになって話が進んでいく。で、ざっと思いつくだけでも「10年前の映画撮影のシーン(回想)」「10年前の映画撮影で撮っている映画のシーン(劇中劇)」「現在(舞台の時間軸)の映画撮影のシーン」「現在(舞台の時間軸)の映画撮影で撮っている映画のシーン(劇中劇)」の4つの時間と空間がある。撮影開始の「カット!」の声は掛かったり掛からなかったりで、いつの間にか始まっている劇中劇に頭がついていかない。

また、二つの劇中劇はラストシーンが同じという設定で、舞台上で展開される出来事もよく似ている。その上、役者が「10年前」と「現在」で役を掛け持ちしている。例えば木崎ゆりあちゃんの役は、「10年前」も「現在」も大部屋女優。衣装を着替えることも無い。同じようなシーンを同じ役者さんに同じ衣装で演じられては、初めて見た観客は今見ている光景がどの時間・空間なのか、瞬時に判断できなかった。

 

・怒鳴り散らしすぎてる

舞台のド頭から、出てくる人が怒鳴り散らす。みんな揃ってひたすら早口で怒鳴ったり喚いたりする。時々、「ナニィ~!?」とか「ナンダト~!?」みたいなさらなる昂ぶりが入る。正直開始5分で1回飽きた。何にそんなに怒っているのか分からないうちから、怒りの対象が明らかにされた後まで、ずーーーっと怒鳴り、喚いている。例外は矢島さん演じる大女優の野火止玲子とそのお付きの人たちくらいだったと思う。(別に推し贔屓で「矢島さんは違うからね~ヨシヨシ」ってしてるわけじゃなくて、単に野火止玲子は大女優であり銀幕のスターであるという役柄ゆえに、そういう演出になってなかっただけ。お付きの人はそもそもほとんど喋らない。)

みんな早口なのに怒鳴るから台詞も聞き取りづらいところが結構あって、???となっている間にビュンビュン話が進んでしまう。抑揚の「抑」が極めて少なくて上がりっぱなしの一本調子なので、何がトリガーになって感情が動いてるのかもとても分かりづらかった。

 

・人間関係が複雑すぎる

「実は夫婦でした!」「実は妹でした!」「実は娘でした!というのは嘘でした!というのも嘘でやっぱり娘でした!(?)」みたいなのがどんどん出てきた。何が本当なのかが分からないほど拗れた人間関係が、輝く銀幕の裏の裏を象徴してるのかもしれないけど、それにしても総じて伝わりづらい。

 

・ラストシーンが謎

話が見えてきたようでそうでもないなと思ってるところに突然訪れる、野火止玲子と官房長官のキスシーン。恋愛関係にある様子が全く描かれていなかった二人のキスシーンでバンッ!と終わられて、いよいよ今までの2時間は何だったのか、という気持ちになった。あのキスシーンの意味を誰か教えてほしい。ていうかあの官房長官自体、何を表現するために存在していたのか、分かるようで分からない。

  

・BGMのチョイスが謎&音が大きい

割とメジャーな洋楽が使われてる場面がいくつかあったんだけど、場面とあんまり合ってなかったし、セリフが聞こえないくらい音が大きいところもあって、めちゃくちゃ気になってしまった。BGMがストーリーの邪魔をするって、結構罪深いのでは、と思う。

 

どうしても許せないところ

・キスシーンを「体当たり演技」としてメディアが報じることに対して何の対策もしなかったところ。公開するゲネプロの映像なんていくらでも指定できただろうに。この舞台の売りってそこじゃなかったはずでしょう、という気持ち。キスシーンそのものは女優になった以上避けられないものだとは思っているけど、もし仮にそこを売りだと考えてたならマジで出直してほしい。無理だけど。

・矢島さんに、本物と思われる煙草を吸わせていたところ。煙草を吸っていることが分かるような演出なんて、本物を使わなくたってできるはず。女優という道を選んだ以上仕方ないとかそんな価値観は平成に置いてこい。役者も観客も健康第一だバカヤロウ。

 

いいところもあったよ

矢島さんの演技は、かなり良かったと思う。あり得ないほど傲慢なのに、妖艶で魅力的だとすら思える大女優をしっかり演じ切ってた。立ち姿、時には後ろ姿だけで、周囲の人々を虜にする風格を見せる場面もあって、見惚れてしまった。顔も見えない、動きも殆ど無い中での声と背中の演技、今までと違う矢島さんだった。

それから、木崎ゆりあちゃん。とにかくセリフが聞き取りやすかった。声がよく通るし滑舌もいい。大部屋女優の惨めな感じもすごくよく出ていて、大女優との対比がしっかり出来ていたと思う。

とはいえ、作品そのものに対しての感想があんな感じなので、いい舞台だったー!とは口が裂けても言えないのがとにかく残念でしかない。

 

まとめ

作品としてはどうにも評価できないけれど、観たいと思った目的は果たせたので、観て正解だったともハズレだったとも言えない。大好きな女優を応援したい気持ちと、好きだと思えるものにお金を払いたい気持ち。両方満たされる作品に早く出会いたいなあ。

 

おまけの自分用備忘

ちなみに、ブログに書いていない間も、矢島さんの主演舞台を二つ見ていた。

 

『一枚のチケット~ビートルズがやって来る~』は初の男役としてかなり話題になった。内容はもう少し詰めてほしいところが多々あるかなあと思ったけど、℃-uteとしてこれまで駆け抜けてきた矢島さんと、その姿を追いかけてきた℃オタである自分に重なる部分があって、思っていた以上に感動した。

ody-inc.com

 

『LADY OUT LOW!』は、ストーリーはありふれたSFだし、2時間の公演時間のうち半分くらいは内輪ネタだらけの寒いコントシーン(本当に要らない時間だった、チケット代半分返してくれ)。円形劇場が有効活用されているとも思えなかった。正直、矢島さんが出てなかったら見る価値は無かった。

矢島さんの役はとにかく怒鳴ってばかりで、私が見た千秋楽ではもう普通に喋るのもやっとなくらいに喉が潰れてしまっていた。喉を潰すのは役者の力不足と言われればそれまでかもしれない。でも、怒鳴らせるだけが「怒り」の表現方法ではないと思うし、そういうキャラクターをどう表現させるかは演出家の腕の見せ所でないかと思う。

推し贔屓だと言われても構わないけど、矢島さんは与えられた役と演出の中で最善を尽くしていたと感じた。ただ、あらゆる面からみて、この演出家の舞台には二度と出てほしくないなというのが、観劇後の感想だった。残念ながらそういう願いに限って通じないものなんだなあ。

lady-out-law.com